書道用語辞典


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「中国の書家」

称号 書 家
書聖 ・王羲之
草聖 ・張芝(草書)
・張旭(狂草)
二王 ・王羲之(大王)
・王献之(小王)
二大宗師 ・王羲之・顔真卿
古今の
三筆
・王羲之・鍾鷂・張芝
初唐の
三大家
・欧陽詢・虞世南・緒遂良
唐の
四大家
・欧陽詢・虞世南
・緒遂良・顔真卿
宋の
四大家
・蘇軾・米沛
・黄庭堅・蔡襄
楷書の
四大家
・欧陽詢(欧体)
・顔真卿(顔体)
・柳公権(柳体)
・趙孟黼(趙体)
四賢 ・張芝・鍾鷂
・王羲之・王献之



















「日本の書家」
三筆 空海・嵯峨天皇・橘逸勢
三跡 ・小野道風(野跡)
・藤原佐理(佐跡)
・藤原行成(権跡)
書の三聖 ・空海・菅原道真
・小野道風
世尊寺流の三筆 ・藤原行成・世尊寺行能
・世尊寺行尹
寛永の三筆 ・本阿弥光悦・近衛信尹
・松花堂昭乗
黄檗の
三筆
・隠元隆g・木庵性滔・即非如一
幕末の
三筆
・巻菱湖・市河米庵・貫名菘翁
明治の三筆 ・中林梧竹・日下部鳴鶴・巌谷一六
昭和の三筆 ・日比野五鳳・手島右卿・西川寧
近代書道の父 日下部鳴鶴
現代書道の父 比田井天来















鶴雲堂店内 (2)
         


         


         


         





 ヤ・や行

 語
読み
  説  明
夜鶴書札抄 やかくしょさつしょう 平安時代末期に藤原伊行(世尊寺家6代目)によって著された日本における現存最古の書論書。
「夜鶴」とは、白居易の『五弦弾』の中にある"第三第四絃冷冷、夜鶴憶子籠中鳴"の苦に由来し、親が子を思う切実な心を表す例えとして用いられ、「庭訓」も親が子に与える教訓という意味があることから、伊行が娘の建礼門院右京大夫に与えたものとされている(『群書類従』本奥書)。
成立年代は不明であるが、後白河法皇を「当院」、高倉天皇を「当今」と表記している部分があることから、仁安3年(1168年)に即位した高倉天皇の在位中のものとされ、さらに安元3年(1177年)以後に書かれたことが確実とされている伊行の息子伊経の書論書『才葉抄』の中に本書に言及した部分があることから、同年以前の著作であるとみられている。
本書を大きく分けると、書式・揮毫に関する故実(草子書様・和歌書様・上表文・大嘗会屏風色紙形・額・御願の扉・扇・番帳・戒牒・経・年中行事障子)、書法の実技に関する解説(硯・墨・筆・硯瓶・藁筆薦筆・鹿毛筆・急ぐ場合・雨中での揮毫・灯前での揮毫・御前での揮毫)、歴代の清書役を担当した能書家(内裏額書人々、悠紀主基御屏風人々、能書人々)から構成されている。
同書に書かれた記述の多くは能書家として代々公事における清書などを務めてきた世尊寺家にとっては「秘伝」「口伝」に属することであり、本来は書物として表に出すものではなかった。ところが、後白河院政期に入ると、摂関家を中核とした法性寺流が台頭して院の保護を受けるようになり、世尊寺流の優位が揺らぐようになる。こうした状況において、子弟の教育目的は勿論のこと、能書が世尊寺家の家学・家職であることを主張する必要性に迫られ、『夜鶴庭訓抄』や続く『才葉抄』のような世尊寺家・世尊寺流の書論書が編纂されたと考えられている。
なお、孫の行能は同書を元にして更に書札礼を中心にして論じた書論書『夜鶴書札抄』を著している。→日本の書論
夜鶴庭訓抄
やかくていきんしょう 夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)は、平安時代末期に藤原伊行(世尊寺家6代目)によって著された日本における現存最古の書論書。
「夜鶴」とは、白居易の『五弦弾』の中にある"第三第四絃冷冷、夜鶴憶子籠中鳴"の苦に由来し、親が子を思う切実な心を表す例えとして用いられ、「庭訓」も親が子に与える教訓という意味があることから、伊行が娘の建礼門院右京大夫に与えたものとされている(『群書類従』本奥書)。
成立年代は不明であるが、後白河法皇を「当院」、高倉天皇を「当今」と表記している部分があることから、仁安3年(1168年)に即位した高倉天皇の在位中のものとされ、さらに安元3年(1177年)以後に書かれたことが確実とされている伊行の息子伊経の書論書『才葉抄』の中に本書に言及した部分があることから、同年以前の著作であるとみられている。
本書を大きく分けると、書式・揮毫に関する故実(草子書様・和歌書様・上表文・大嘗会屏風色紙形・額・御願の扉・扇・番帳・戒牒・経・年中行事障子)、書法の実技に関する解説(硯・墨・筆・硯瓶・藁筆薦筆・鹿毛筆・急ぐ場合・雨中での揮毫・灯前での揮毫・御前での揮毫)、歴代の清書役を担当した能書家(内裏額書人々、悠紀主基御屏風人々、能書人々)から構成されている。
同書に書かれた記述の多くは能書家として代々公事における清書などを務めてきた世尊寺家にとっては「秘伝」「口伝」に属することであり、本来は書物として表に出すものではなかった。ところが、後白河院政期に入ると、摂関家を中核とした法性寺流が台頭して院の保護を受けるようになり、世尊寺流の優位が揺らぐようになる。こうした状況において、子弟の教育目的は勿論のこと、能書が世尊寺家の家学・家職であることを主張する必要性に迫られ、『夜鶴庭訓抄』や続く『才葉抄』のような世尊寺家・世尊寺流の書論書が編纂されたと考えられている。
なお、孫の行能は同書を元にして更に書札礼を中心にして論じた書論書『夜鶴書札抄』を著している。
  ユ・ゆ
遺偈 ゆいげ 禅僧が末期に後人のために残す辞世の偈頌のことで、遺誡偈頌(ゆいかいげじゅ)の略。臨終を前に門弟に遺す偈頌のこと。禅僧特有のもので、死ぬ前に一言弟子たちに偈を遺す習慣があった。一生涯の悟りの境地が表された遺偈は偈の中でも特に珍重される。清拙正澄の『遺偈』、円爾の『遺偈』、寂室元光の『遺偈』、一休宗純の『遺偈』、独立性易の『遺偈』などがある。→禅林墨跡

清拙正澄『遺偈』
遊印 ゆういん 姓名や雅号、商号や屋号など特定の個人や法人に帰属しない文字を印文にした印章のことである。詞句印ともいう。文学や思想などを表現した語句が選ばれることが多く、篆刻家が好んで作印する。なお、遊印に対立する印章を恒操印という。「遊印」とは、もともとは明代に皇帝の辞令などの不正を防ぐ目的で文書に捺された印のうち、右肩部分に割印された引首印(関防)に対して、押脚印または圧角印を指し示す呼称である。書画に捺すようになってから自由に場所を選んで捺せるという意味で使われ始めた。
しかし、その印文の意味を捉えるならば、戦国時代から秦・漢において関章(閑章)と呼ばれた印章の流れを汲んでいる。
関章は実用的な目的を持たず、すべて私印であった。縁起のいい語句や戒めの言葉などが刻されているので吉語印と呼ぶ。この印を腰に佩帯して吉祥を招こうとしたのである。なお、稀に姓名印に吉語印を付帯したものがある。
宋代以降に文人による篆刻が盛んになると、座右の銘や詩文、宗教的な語句、風流な文などを印文とするようになる。これを成語印または世説印と呼ぶ。絹や紙にツ印して書画の飾りとしたのである。南宋の賈似道の用いた「賢者而後楽此」の印が成語印の最初とされる。元朝では趙孟?や王冕に見られ、明の文彭・何震以降に大量に出現した。
書画の落款として使用される場合、白文(陽刻)の姓名印の下に、朱文(陰刻)の遊印が捺されることが一般的である。この風習は明代の沈周に始まりその後呉派によって広められた。
日本では江戸時代初期に翻刻された『飛鴻堂印譜』に感化を受けた書家や文人によって遊印が作成され始めた。
遊印が登場して篆刻の芸術性が認められるようになった。日本では篆刻作品は書展に出品されている。
右筆
ゆうひつ 右筆(ゆうひつ)は、中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。
初期の武士においては、その全てが文章の正しい様式(書札礼)について知悉しているとは限らず、文盲の者も珍しくは無かった。そこで武士の中には僧侶や家臣の中で、文字を知っている人間に書状や文書を代筆させることが行われた。やがて武士の地位が高まってくると、公私にわたって文書を出す機会が増大するようになった。そこで専門職としての右筆が誕生し、右筆に文書を作成・執筆を行わせ、武家はそれに署名・花押のみを行うのが一般的となった。これは伝統的に書式のあり方が引き継がれてきたために、自筆文書が一般的であった公家とは大きく違うところである。武家が発給した文書の場合、文書作成そのものが右筆によるものでも署名・花押が発給者当人のものであれば、自筆文書と同じ法的効力を持った。これを右筆書(ゆうひつがき)と呼ぶ(もっとも、足利尊氏のように署名・花押まで右筆に任せてしまう特殊な例外もあった)。
なお、事務が煩雑化すると、右筆が正式な手続を経て決定された事項について自らの職権の一環として文書を作成・署名を行い、これに主君発給文書と同一の効力を持たせる例も登場する。こうした例は院宣や綸旨などに早くから見られ、後に武家の奉書や御教書などにも採用された。
  ヨ・よ
羊毫 ようごう 穂に羊毛を用いた筆をいう。
用筆(法) ようひつ(ほう) 1 筆を用いること。また、その使い方。筆づかい。運筆。2 使用する筆。
横物 よこもの 長押に掲げる額とは別に、横位にして鑑賞するのに適したように書かれた書画をいう。条幅に対する語。
余清斎帖 よせいさいじょう 『余清斎帖』8巻(正続2集、24巻とも)は、書画商人の呉廷(ご てい)が万暦24年(1596年)に作成した。呉廷自身が所蔵した王羲之から米?までの諸帖を刻したもので、その8巻の内容は次のとおりである。
1.王羲之『十七帖』
2.王羲之『張金界奴本蘭亭序』・『楽毅論』・『黄庭経』など
3.王羲之『行穣帖』、王献之『鴨頭丸帖』・『洛神賦十三行』など
4.王c『伯遠帖』、王献之『中秋帖』など
5.王羲之『胡母帖』、謝安『六十五字帖』など
6.孫過庭『草書千字文』、顔真卿『祭姪文稿』
7.蘇軾『赤壁賦』、米?『千字文』
8.米?『評紙帖』など
『十七帖』以外は多く真跡から刻したという。刻者は楊明時などによる名帖である

『十七帖』(余清斎帖本、部分)王羲之

余白 よはく 書画の書かれていない空白の部分をいう。



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書道用語辞典 ま行 や行







 マ・ま行

 語
読み
  説  明
摩崖碑 まがいひ (摩崖刻・摩崖とも)自然の岩盤を利用して文字を刻した刻石をいう。

泰山 唐摩崖(紀泰山銘之碑)
摩崖佛 まがいぶつ 自然の岩壁を利用し、その岩面に彫刻された仏・菩薩像。インドで発生、中国・朝鮮に広がった。日本には奈良時代に伝わり、平安以降に製作されたものがのこる。
巻物 まきもの (巻子本(かんすぼん)巻物。巻子装は軸を中心に本文料紙を巻き取ったもので最も古い本の形態である[1]。その歴史は長く洋の東西を問わず見られる。巻物の材質には紙のほかパピルスや羊皮紙などが使われ、複数枚をのり付けして片端に木や竹などで作った芯(軸)を付け、巻いていくことで携帯、保管がしやすいようにした(なお、日本の場合を例にとれば、芯(軸)の材料として一般には杉が高級なものには紫檀を材料としたり、漆や蒔絵を施した)。
麻紙 まし、あさがみ 麻繊維を原料とする紙のこと[1]。麻紙は紙の起源とされ、以前は大半は絹布である帛書(はくしょ)に文字を書いた[2]。紙の起源として、主に古布の麻布を原料とした、狭義の麻(大麻)が多く、少量の苧麻(からむし)が混じった麻紙が発掘されており、歴史書によれば105年に蔡倫(さいりん)が古い製紙法を改良して樹皮や生の麻を処理して加えられるようになった。中国や日本で12世紀頃までよく用いられた紙である。『日本書紀』における製紙技術が伝来した明確な記載は610年であるが、それ以前に伝来したとも考えられ諸説ある。日本で古くは平安時代の『延喜式』に記載されていたが、麻紙の生産は一度断絶し、大正時代に福井県の岩野平三郎が麻紙を復元し、雲肌麻紙(麻と楮)として日本画の支持体として主流となった。日本画用紙としては高知麻紙(苧麻と楮)も登場した。またこの流れとは別に、主に栃木県の野州麻のみを使った、素材の味を活かした麻紙が作られている。
磨墨 まぼく 墨を磨ること。
磨墨液 まぼくえき 磨墨によって得た黒色液をいう。
真名 まな 仮名に対して漢字を真名(まな)と呼ぶ。日本語における文字の使用は、5世紀から6世紀頃の漢字の本格的輸入とともに始まり、漢字を日本語の音を表記するために利用した万葉仮名が作られた。やがて、漢字の草体を元に平安時代初期に平仮名が、漢字の一部を元に片仮名が作られたとされる。
万葉仮名 まんようがな、 (真仮名(まがな)とも)主として上代に日本語を表記するために漢字の音を借用して用いられた文字のことである。『萬葉集』(万葉集)での表記に代表されるため、この名前がある。真仮名(まがな)、真名仮名(まながな)、男仮名、借字ともいう。仮借の一種。楷書ないし行書で表現された漢字の一字一字を、その字義にかかわらずに日本語の一音節の表記のために用いるというのが万葉仮名の最大の特徴である。万葉集を一種の頂点とするのでこう呼ばれる。『古事記』や『日本書紀』の歌謡や訓注などの表記も『万葉集』と同様である。『古事記』には呉音が、『日本書紀』には漢音が反映されている。江戸時代の和学者・春登上人は『万葉用字格』(1818年)の中で、万葉仮名を五十音順に整理し〈正音・略音・正訓・義訓・略訓・約訓・借訓・戯書〉に分類した。万葉仮名の字体をその字源によって分類すると記紀・万葉を通じてその数は973に達する
万葉集
まんようしゅう 『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられる。日本文学における第一級の史料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。
ミ・み
明清風 みんしんふう (明清調とも)とは、明・清時代の張瑞図、王鐸、傅山ら特異な能書家の連綿草の技法を基調とした書表現を指す。

『張瑞図 漢詩文三行書』 1幅 古筆 古文書 古書 墨蹟 中国明代書画 中国絵画 中国文人画 王鐸 傅山 明代能書家 福建省
メ・め
明治の三筆 めいじのさんぴつ 明治時代初期は江戸時代の延長でしかなく、唐様と和様が行われたが、実権者の多くが漢学の素養があったことからだんだんと唐様の書風に傾いていった。明治13年(1880年)、清国の楊守敬が漢魏六朝の碑帖を携えて来日し、元・明の書法が全盛であった日本の書道界に大きな衝撃を与えた。そして、この影響を受けた巌谷一六・松田雪柯・日下部鳴鶴と、直接清国に渡って書を学んだ中林梧竹を中心に六朝書道が盛んになった。平安時代初期と同様に大陸の影響を大きく受けたのである。この六朝書道を牽引した日下部鳴鶴・中林梧竹・巌谷一六の3人を書道界では明治の三筆と呼ぶ。特に鳴鶴は多くの門人を擁していたため、これらの書風は瞬く間に全国へと広まった。これにともない漢字は和様が衰頽し、唐様は六朝書によって革新され、鳴鶴と西川春洞を中心に今日の漢字書道界の基礎が造られたのである→三筆

『山水詩画双幅』(貫名菘翁筆画)
名筆
めいひつ (名跡とも)書の名品のこと。

日本名筆選 35:古筆名品集
ム・む メ・め
モ・も
毛筆 もうひつ 動物の毛で作った筆。また、その筆で書くこと。
毛筆書写検定 もうひつしょしゃけんてい 硬筆書写技能検定・毛筆書写技能検定実施団体の一般財団法人 日本書写技能検定協会 https://www.nihon-shosha.or.jp/
模刻 もこく 彫刻や碑などの彫塑物を模写して刻し、複製を制作すること。純粋な模倣のために行う場合、技法を学ぶための練習手段として行う場合、現物が摩滅・破損するなどしてそのままでは保存・鑑賞に堪えない時に行う場合、また美術館などで直接展示に支障がある時に展示用として行う場合などがある。ギリシア彫刻の古代ローマにおける模刻は特にローマンコピーと呼ばれる。ローマ美術を参照。
仏像の複製を制作すること。僧侶などが修行の一環として行うことがあった。
篆刻で官印や先人の刻した印を模倣し刻すること。篆刻技術の向上に必須とされ、多くの篆刻家がこれを行っている。
近世以前の木版印刷において、現物を参照もしくは版下として直接貼りつけて版木に起こし、既成の本や書画を複製すること。版木が磨耗して使えなくなった場合や漢籍のように事情により手元に版木がない本を刊行する場合などに行われた。版木間での複製もこう呼ばれることがある。
書道において、書蹟を石や木に模写して彫りつけ、保存・鑑賞・学書用の書蹟「法帖」を制作すること。「?刻」(「?」は「募」の「力」を「手」に換えた字)とも書く。
模刻は紙に書かれた書蹟を保存する時に行われるもので、石や木に原本の文字を精巧に模写し、これをたがねやのみによって彫りつける。この際字は鏡文字にはせず、原本そのままの向きで彫る。つまり、紙から石や木への媒体変換を行い、保存と鑑賞に供するのがこの方法である。ただし刻まれた石や木そのものが用いられることはなく、拓本を適宜採って用いる。書道の書蹟で、時折元が碑でもないのに拓本になっているものがあるのはこのためである。
このような保存・鑑賞・学書に適した形に仕立て上げられた、多く模写や複製による書蹟を「法帖」というが、特に模刻によるものを「刻帖」、対して紙に直接筆記・模写したものを「墨帖」と呼ぶこともある。
中国独自の書蹟保存・享受法であり、同じ書道文化を持つ日本などではほとんど見られない。これには中国で、記録保存には金石文を用いるのが最適と考えられていたことがある。石や木を単なる一媒体ではなく、特に保存性に優れたものとして認識していた。
模刻はさまざまな欠点をはらみ、法帖の信頼性を失わせたが、一方真筆が散逸した書蹟が模刻によって後世に伝わったものもある。
王羲之・王献之の親子、「二王」には真筆が遺されておらず、代表作「蘭亭序」も唐の太宗の陵墓に埋められ、伝存しなかった。後の人間が「二王」の書蹟を知り得るのは、模刻によって書蹟が伝写されて来たためである。他にも模刻によって伝わった書蹟も数多い。
模本 もほん 原本を模して作ること。または模写した書物をいう。
木簡 もっかん 古代の東アジアで墨で文字を書くために使われた、短冊状の細長い木の板である。紙の普及により廃れたが、荷札には長く用いられた。 荷札木簡(複製)。飛鳥、奈良時代、7-8世紀。飛鳥京、藤原宮、平城宮跡出土品。

木簡のレプリカ
文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験 もんぶしょう しはんがっこう ちゅうがっこう こうとうじょがっこう きょういんけんていしけん、文検(ぶんけん (文部省教員検定試験とも)1884年(明治17年)より1948年(昭和23年)まで行われていた中等教員免許の検定試験である。「文検」。











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