書道用語辞典


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「中国の書家」

称号 書 家
書聖 ・王羲之
草聖 ・張芝(草書)
・張旭(狂草)
二王 ・王羲之(大王)
・王献之(小王)
二大宗師 ・王羲之・顔真卿
古今の
三筆
・王羲之・鍾鷂・張芝
初唐の
三大家
・欧陽詢・虞世南・緒遂良
唐の
四大家
・欧陽詢・虞世南
・緒遂良・顔真卿
宋の
四大家
・蘇軾・米沛
・黄庭堅・蔡襄
楷書の
四大家
・欧陽詢(欧体)
・顔真卿(顔体)
・柳公権(柳体)
・趙孟黼(趙体)
四賢 ・張芝・鍾鷂
・王羲之・王献之



















「日本の書家」
三筆 空海・嵯峨天皇・橘逸勢
三跡 ・小野道風(野跡)
・藤原佐理(佐跡)
・藤原行成(権跡)
書の三聖 ・空海・菅原道真
・小野道風
世尊寺流の三筆 ・藤原行成・世尊寺行能
・世尊寺行尹
寛永の三筆 ・本阿弥光悦・近衛信尹
・松花堂昭乗
黄檗の
三筆
・隠元隆g・木庵性滔・即非如一
幕末の
三筆
・巻菱湖・市河米庵・貫名菘翁
明治の三筆 ・中林梧竹・日下部鳴鶴・巌谷一六
昭和の三筆 ・日比野五鳳・手島右卿・西川寧
近代書道の父 日下部鳴鶴
現代書道の父 比田井天来























カ行

楷行 カイギョウ 行書の一種。比較的楷書に近いものをいう。
概形法 ガイケイホウ 文字の形を覚えるための練習法の1つ。文字の形を外形によってとらえ、覚えていく。おおまかな形のこと。布で包んで、凸凹のある形をならしてみることを想像すればよい。また、書道用語としての抱懐とは、文字が内包する空間のこと。つまり、外側からみたのが「概形」、内側から捉えたのが「抱懐」ということにある。
懐紙 カイシ 皇族・貴族らが歌会などで自らの詠歌を一定の書式に則って清書する。これを和歌懐紙と呼び、漢詩を書いたものは詩懐紙と呼ぶ。
楷書 カイショ 漢字の書体の一つ。『手書き書体』と『印刷書体』の二種類に分かれ、前者を楷書、後者を楷書体という。
一画一画を続けずに、筆を離して書く。方形に近い字形である。横線は、筆の打ち込み、中間の線、筆の止めがはっきりしていることが多い(三過折)。現在では漢字のもっとも基本的な字形であるといえる。楷書は比較的新しい時代に生まれた。 なお、現代日本で一般的に書道などで楷書を学ぶといった経験が少なくなり、活字印刷を通してしか漢字を目にすることがなくなってきたことから、楷書を活字体(明朝体)の字体(字の骨格)をなぞったものと考える向きがある。しかし、この活字体は康熙字典の書体をもとにしており、初唐に確立した伝統的な楷書とは異なるものである。
楷書
四大家
かいしょのしたいか ・欧陽詢(欧体) ・顔真卿(顔体)
・柳公権(柳体) ・趙孟黼(趙体)
快雪堂法書 カイセツ
ドウホウショ
明末および清初の官員で、能書家である馮銓が、書家を集帖し、「快雪堂法書」全五巻の集貼を編した。1641年以後の書家に影響を及ぼした。
廻腕法 カイワンホウ 執筆法の一つで、腕を大きく廻し、肘から先をほぼ水平に半月の形にして運筆する方法である。中国の楊守敬が日本に伝えたもので、日下部鳴鶴らが用いていた。
額字 ガクジ 元来一紙に道号のみを大書したが,のちには同じ一紙の中に道号と偈頌とを書くようになった。(c)牌字・額字 寺院の山号,寺号,室号,軒号など諸堂に掲げる額字を大書したもの。僧侶の役職名を大書したものもある。
→禅林墨跡#額字:京都五山の一つ、東福寺には禅院殿舎にかける額字や牌字の原本が数多く遺されている。これらはもともと博多の承天寺のために開山円爾(えんに、弁円〈べんねん〉 聖一国師、1202-80)の師匠であった無準師範(ぶじゅんしばん、仏鑑禅師、1178-1249)が送り与えたものであったが、承天寺が天台衆徒の抗争にあった際、円爾とともに円爾が開いた東福寺に移されて今日に至ったものである。これらはともに大字の書で、無準の筆蹟のほかに禅林との交遊の深かった南宋の能書家張即之(ちょうそくし、1186-1266)が書いたと思われる書風が認められる。いずれも威風堂々とした力強い筆致で、重厚さの中に鋭いまでの気魄に満ち満ちている。この1幅は張即之の書風。また首座(しゅそ)とは禅院における職位を示すもので衆僧中の首位に坐る役名のこと
掛軸 かけじく 書や東洋画を裂(きれ)や紙で表装したもの。日本では床の間などに掛けて鑑賞し、「床掛け」と言われることもある。後述のように、掛け軸と同様な方法で保管・鑑賞される書画は中国美術に古来存在する。仏教を広めるための道具として日本に流入した後、日本の文化と融合し、室内装飾で重要な役割を果たしている。「床掛け」に近い掛軸としては、茶道の茶室内で用いる禅語などを書いた、やや細い「茶掛け」がある。それ以外では、仏壇の中で使う「仏掛け」があり、本尊や脇侍の絵像が描かれていたり、名号・法名軸に仕立てられたりしている。現代においても、昔の掛け軸が文化財として保護・展示されていたり、骨董として収集・売買されたり、肉筆や印刷で新たに制作されたりしている。
雅号 ガゴウ 文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のことである。
画仙紙 ガセンシ 書画に用いられる大判の用紙。色合いは白色のものが主である。雅仙紙・画箋・雅箋・雅宣・画牋とも書かれる。墨の発色やにじみ・かすれの美といった書画表現を満たすために生み出された紙であり、大きさや厚さ、紙質などによってさまざまな種類に分けられる。「画仙紙」という呼称は、宣紙と呼ばれる中国・宣州(宣城)産の上質書画紙から来ているという。日本では江戸時代以来、中国から輸入した書画紙が用いられたが、第二次世界大戦後これに倣った紙が各地で生産されるようになった。日本では中国製のものを本画仙と呼ぶのに対し、日本製のものを和画仙ともいう。日本の画仙紙には、甲州画仙、因州画仙、越前画仙、土佐画仙、伊予画仙などがある。
画禅室随筆 ガゼンシツ
ズイヒツ
『画禅室随筆』四巻は、董其昌撰。書論は巻1に収められ、作意に対する率意を重視し、天真爛漫の境地を理想とした。四巻の内容は次のとおり。
1.論書(論用筆・評法書・跋自書・評古帖)
2.論画(南北二宗論)
3.記游・記事・評詩・評文
4.雑言上下・楚中随筆・禅悦
固め筆 かためふで 毛筆の毛をふのりで固めた筆のこと。
渇筆 カッピツ かすれ、かすれ筆のこと。潤筆に対する語
片仮名 かたかな 日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字を起源として成立した。
仮名 かな 漢字をもとにして日本で作られた文字のこと。現在一般には平仮名と片仮名のことを指す。表音文字の一種であり、基本的に1字が1音節をあらわす音節文字に分類される。漢字に対して和字(わじ)ともいう。ただし和字は和製漢字を意味することもある。
仮名消息

下筆 かひつ 起筆のことだが、筆を揮うという意味もある
唐様 からよう 中国風の書跡のこと。特に江戸時代の学者間で流行した書風をさし、墨跡に明・清代の書風を加味したもの。行書・草書以外の漢字書体で、篆書・隷書・楷書などをさす。日本の伝統的な寺院建築の様式の一つで、禅宗様をいう。

功山寺仏殿(山口県、国宝)
功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある曹洞宗の寺。長府毛利家の菩提寺。山号は金山(きんざん)。中国三十三観音霊場第十九番札所、山陽花の寺二十四か寺第九番。
寛永の三筆 かんえいのさんぴつ 本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗。室町時代、応仁の乱等であらゆる財源が枯渇した。そうした中、書道は、茶、花などとともに重要な財源の一つとなった。よって、家々は競って書流を立て、おびただしい流派が乱立した。しかし、50を数える書家も、どれもが似たり寄ったりの弱々しい書風で、書流が形式化していたのを寛永の三筆と称される本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗の3人は、模倣にあまんずることなく、それぞれ天与の才能と個性を発揮し斬新な世界を創り出した。信尹の大字仮名はその先鞭をつけ、続く光悦の大胆な新しい美、昭乗の上代様は柔軟で人好きのする書と、寛永の三筆によって安土桃山時代・江戸時代前期の書は和様を中心として復興したのである。
勧縁疏 カンエンソ 寺社の造営修理の費用の寄付を仰ぐために書かれた宣伝文、または趣意書のこと。能書で書かれていることが多く、『泉涌寺勧縁疏』(俊?書、国宝)などがある
館閣体 カンカクタイ 中国の書道芸術発展史において、明(一三六八〜一六四四年)と清(一六四四〜一九一一年)は、特殊な風格をそなえた楷書体が生れた時代である。明代に生れた書体を「台閣体」とよび、清のそれは「館閣体」とよばれた。このような書体の形成は、当時の科挙制度と密接なつながりがある。試験を受けるものは、はっきりした丹念な楷書で答案を書かねばならなかった。そして、封建的支配者も大いにこの書体を提唱した。
→干禄体
間架結構法 かんかけっこうほう 点画の間隔や点画の組み立てを考えて字を構成することです。間架は点画と点画の間の空け方のことを指し、結構は点画の組み合わせや形の取り方を指します。
 横画では主に仰勢(ぎょうせい)・平勢(へいせい)・伏勢(ふせい)の三種類があります。仰勢は少し上に反り気味に書きます。平勢は横画の基本である一と同じです。伏勢は下に反るように書きます。このうち仰勢と平勢は主として短い画の時に用いられます。
観鵞百譚 カンガ
ヒャクタン
細井広沢著。江戸期に唐様書が流行した要因として、幕府の儒学奨励策による中国文化受容の機運の増大があった。したがって唐様書家の意識のなかにはもともとその源流を中国書法に求める傾向が具備していた。言いかえれば自身の書法の正統性を中国書法に委ねなければならない宿命にあったといえよう。しかしこの宿命こそが和様書家との決定的な立場の違いとなって推移した。したがって江戸期唐様書家の説くスローガンにのなかには、しばしば、和様書家に対抗する意識が見え隠れし、それが唐様書家の立ち位置ともなった。いずれにしても江戸期唐様書家の著述には、当時の書道事情を投影した内容が散見引いては江戸書道界の一端を掌握する資料となりえる。その意味において江戸期唐様書のオピニオンリーダー役をになった広沢に注目し、その普及の原動力となった広沢であった。→日本の書論
漢簡 カンカン 前漢以来の肉筆資料である漢簡(かんかん、漢代の木簡)が発見された。はじめ、スタインによって敦煌漢簡が、その後、ヘディンによって居延漢簡が発見されたが、これらの木簡の中に前漢の紀年がある八分隷が含まれていた。長沙漢簡:1972年、馬王堆一号漢墓から出土した漢簡であり、馬王堆一号漢簡ともいう。出土した竹簡は312簡、文字は1簡に2字から25字で、総計2000余字あり、そのほとんどが副葬品の品名や数量を記した目録である。従来の漢簡で年記のある最も古いものは、天漢3年(紀元前98年)の簡であるが、この墓の造営がそれ以前であることは間違いない。
→中国の書道史
翰香館法書 カンコウカン
ホウショ
1675年、清初の能書家である劉鴻臚が、書家を集帖し、「翰香館法書」全十巻の集貼を編した。1675年以後の書家に影響を及ぼした。→集帖
漢詩 カンシ 中国の伝統的な詩。韻文における文体の一つ。狭義には後漢時代に確立した中国の国家芸術としての詩のこと。歴史や宗教哲学のものを除けば韻文が中心だった中国文学の歴史の中で、五経のひとつとして中国最古の詩編『詩経』が生まれた。『詩経』は四言詩を基本とする。 それから200年ほど後、楚の国で『楚辞』が生まれ、漢の時代にその系統を汲む賦が栄えたが、これは詩とは別系統の文体とされる。しかし、その形式は後に詩の形式に大きな影響を与えた。「古体詩」唐以前に作られた漢詩の全てと唐以後に作られた古い形式の漢詩で、古体詩には明確な定型がなく句法や平仄、韻律は自由である。 「近体詩」唐以後に定められた新しいスタイルに則って詠まれた漢詩で、句法や平仄、韻律(平水韻)に厳格なルールが存在する。句数・1句の字数から五言絶句・七言絶句・五言律詩・七言律詩・五言排律・七言排律に分類される。
漢字 かんじ 中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である[1][2]。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。
乾拓 かんたく 拓本をとる技法の一。対象物に紙を押し当て釣鐘墨(つりがねずみ)などでこすることで、凹凸を写し取る。濡らすことで史料価値が減じる木製の対象物などに適する。→湿拓
漢文 かんぶん 古代中国の文語体の文章のこと。または近代中国人・朝鮮人・日本人・ベトナム人によって書かれる古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法で書かれたものをいう。まず漢文では時制が省略される。ゆえに現在か未来か過去かは読者の判断にゆだねられる。また句と句、語と語の間の関係が、条件と結果であるとき、順接であるとき、逆接であるとき、いずれも概ね語順によってのみ示され、これも読者の判断にまかされる。ゆえに漢文の文法は簡単であるが、常識によって理解されるという特徴がある。さらに助字(而・之・於・者・焉の類)も省略される。中国語には助字を添加してもしなくても文章が成立するという性質がある。
干禄字書 カンロク
ジショ
中国唐代・7世紀から8世紀にかけての学者・顔元孫が著した、漢字の楷書の字体を整理し、標準字形を提示した字書(漢字辞典)である。字様書の一つ。約800字の漢字を韻目順に並べ、異体字を整理して、正・通・俗の3種類に分類した字書。字によっては正・通あるいは正・俗2種類しか挙げていないものも多い。字体(字形)をまず数種示し、それが正通俗いずれに該当するかの判断を字の後に記している。筆者・顔元孫の定義によれば、正字として分類されている字体こそが、確実な根拠を持つ由緒正しい字形であり、朝廷の公布文書のような公的な文書や科挙の採点基準にはこれを用いるべきであるとする。
干禄体 カンロク
タイ
朝廷の公式な標準書体をいう。正字・正体であるばかりでなく、個性を滅却し、しかも清新で美しくあるべきものとされる。科挙の試験の答案に書く文字はこの書体が要求された。『干禄字書』はこの要請により作られたものである。→館閣体
 キ
机間巡回 きかんじゅんかい 学校教育の現場において、授業中に教師が生徒の机の間を巡回することを指す専門用語の一つ。その主な目的としては、個々の生徒の理解度を把握したり、手助けが必要な生徒に適切な指示を出したりするなどがある。別に、机間巡視ともいう。机間巡視とも
揮毫 きごう 毛筆で何か言葉や文章を書くこと。「毫(ふで)を揮(ふる)う」からこの語がある。著名人や書家などが依頼に応じて書いた格言や看板の文字について言うことが多い。有名な揮毫になると高値で取引されることもある。天皇や皇帝が書いたものは「御筆」として丁重に扱われる。大衆の前で揮毫を披露する事を「席上揮毫」と呼ぶ。
亀甲獣骨文字 きっこうじゅうこつもじ 中国・殷(商)時代の遺跡から出土する古代文字。 漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖形を伝えている。古代中国で生まれ発達してきた文字(漢字)と獣骨を用いる占卜とが結びついて文字記録となったものである。亀甲獣骨文字、甲骨文ともいう。
起筆 きひつ 筆を紙面につけて点画を書き始めること。また、その接触の仕方をいう。起筆の方法には、順筆・逆筆・蔵鋒・露鋒などがある。収筆に対する語。(始筆・下筆・落筆とも)→書法
逆入平出 ぎゃくにゅうへいしゅつ 横画でいうと、右方向から左方向に強く逆筆ぎみに起筆し(逆入)、筆圧を変えないで筆管を左に倒し、そのまま逆筆で送筆する。最後に筆管を立て、素直に筆を抜いて収筆する(平出)。包世臣が唱えた運筆法で、趙之謙がその書法を立証した。
逆筆 ぎゃくひつ 起筆における筆の入り方の一種で、進行方向とは反対の方向に筆を入れ、進行方向に対して穂先を押していくように軸をやや反対に傾ける気持ちで書くこと。軸ではなく毛の方を先行して書く方法。→書法
歙州硯 きゅうじゅうけん 端渓硯と並び称される名硯に歙州硯がある。この硯の原石は南京の南200kmの歙県から掘り出される。付近には観光地として知られる黄山があり、この辺りは奇怪な岩石の峰が無数に林立する山岳地帯である。歙県はその黄山の南に位置し、昔は歙州(きゅうじゅう)と言った。歙州硯は端渓の女性的な艶やかさに比べ蒼みを帯びた黒色で、男性的な重厚さと抜群の質を持つ。比重は重く石質は硬く、たたくと端渓よりも金属的な高い音がする。へき開のために細かい彫刻には向かない。磨り味は端渓の滑らかさと違って、鋭く豪快に実によくおり、墨色も真っ黒になる。この硯は、うす絹を2枚重ねた時にあらわれる波のような模様、「羅紋」(らもん)が特徴である。採石期間が短かったため現存する歙州硯は極めて少なく、端渓硯に比し約5%程度と思われる。
歙州石
急就章 きゅうしゅうしょう 字書の一種で,児童など初学入門のものに文字ならびに当時〈章草〉と呼ばれた草書体を教えるためのものであったと考えられる。《急就章》とも呼ばれることがあるが,その場合〈章〉はこの章草の意味である。(急就編とも)→中国の筆跡一覧
競書 きょうしょ 書道で、定められた課題等による清書作品を集め、その優劣を競って級位などを設けること。
行書 ぎょうしょ 1.漢字の書体の一つ。楷書が一画一画をきちんと書いているのに対し、行書体ではいくらかの続け書きが見られる。しかし、草書のように、楷書と大幅に字形が異なるということはないために、楷書を知っていれば読むことは可能である。2.水墨画における画法の一つ。楷書体と草書体の中間的な技法である。
行書は隷書の走り書きに興る。王羲之などの書が有名。草書ほどではないが速記向きであり、楷書ほどではないが明快に判読できることから、古代中国では公務文書や祭礼用の文書に用いられた。詩歌の巻頭言の草稿として王羲之が著した『蘭亭序』や、北周の詩を清書した?遂良の『枯樹賦』、内乱で惨殺された甥の祭礼に備えて書いた顔真卿の『祭姪文稿』などが代表的な書作品である。空海と最澄が交わした行書書簡、『風信帖』と『久隔帖』はともに国宝である。
狂草 きょうそう 現行の草書(今草)は章草の波磔がなくなったものであるが、今草になって連綿(連綿草)が可能となった。この連綿草を得意としたのが張旭と懐素であり、連綿体の妙を極めた自在で美しいこの草書は狂草体と呼ばれる。この書風は後の黄庭堅や祝允明らに強い影響を与えた。但し、二王の書を尊ぶ同時代の人士には受容されず、当時は、杜甫のような新興の士から支持を受けるにとどまっていた。
行草体 ぎょうそうたい 行書と草書を混ぜ合わせて書かれたもの。王献之の十二月帖や中秋帖などがその例である。
居延漢簡 きょえんかんかん 中国、内モンゴル自治区エジン旗から甘粛省酒泉の東北部にある居延烽燧遺跡から発見された前漢代・後漢代の木簡。歴史資料として貴重なだけでなく、書蹟としても珍重されている。1930年スウェーデン・中国合同の「西北科学考査団」が西域入し、ゴビ砂漠を横断、望楼の跡の発掘現場より、漢代の木簡が発見され、ここから芋づる式に木簡の発見が相次ぎ、翌1931年にかけて調査した結果、漢代のものだけ約1万枚という未曾有の量の木簡が出土したのである。
玉煙堂帖 ぎょくえんどうじょう 『玉煙堂帖』24巻は、陳?が万暦40年(1612年)に刻したもので、漢・魏より宋・元に至る名跡が集刻されている。刻は精巧さに欠くが他帖に見られない作品が含まれ貴重である→集帖
玉莇篆 ぎょくちょてん 李斯の篆書をいう。玉?は玉でつくった箸のこと。中国の箸は先も元もほぼ同じ太さであるので、線に太細のない李斯の篆書をこのように称した。
きれ 古筆は主に貴族文化の中で、本来、冊子や巻物という完全な形で大切に保存、鑑賞されていた。しかし、古筆愛好熱が高まり古筆の絶対数が不足してくると切断されることになり、この切断された断簡が「切」と呼ばれるもので、ここに古筆切(こひつぎれ)、歌切(うたぎれ)が誕生する。古筆切は保存にも鑑賞にも不自由なため、これを収納、鑑賞するための帖(手鑑)が発達した。江戸時代初期、17世紀中頃には町人のあいだでも大流行したことが、当時の『仮名草子』に記されている。また、『茶会記』には、古筆切は茶席の床を飾る掛物としても用いられ始めたことが記されている。→古筆切
筋書 きんしょ 骨ばかりに見えて肉付きの感じられない筆画をいう。『筆陣図』には、「骨多くして、肉なきを筋書という。」とある
金石学 きんせきがく 碑文研究の一種で、中国古代の金属器・石刻の上に刻まれた銘文(金文・石刻文)や画像を研究する学問のことをいう。その研究対象は、先秦の鐘・鼎・彝器、秦の始皇帝が中国各地に建てた石刻、漢代の画像石、以降の時代の墓碑・墓誌銘、神道碑・記事碑、石経、銅鏡や古銭などである。中国における金石学の創始者は、北宋の欧陽脩である。彼は、金石や石刻の拓本を蒐集して研究し、『集古録跋尾』10巻を撰した。その後、宋代の劉敞が、古銅器の研究に、器形・文字・歴史の三学があることを提唱した。また、徽宗皇帝は、『宣和博古図』を作らせ、「器形」の研究に資した。現在使用される古銅器の名称の多くは、この書に由来する。さらに、南宋の薛尚功が『歴代鐘鼎彝器款識法帖』20巻を著し、「文字」の解読を推し進めた。
金石文 きんせきぶん 金属や石などに記された文字資料のこと。紙、布などに筆で書かれた文字に対し、刀剣、銅鏡、青銅器、仏像、石碑、墓碑などに刻出・鋳出・象嵌などの方法で表された文字を指す。土器や甲骨などの類に刻まれたものを含む場合もある。ここでは主として記念性、永遠性を持った碑文、銘文などについて述べる。ここでは、碑文(ひぶん)は石碑に記した文、銘文(めいぶん)はそれ以外の金石に記した文と考えて用いる。
金石録 きんせきろく 『金石録』30巻は、趙明誠撰。前10巻には2000点に及ぶ金石文を収録し、その著年月・撰者名・諸家考証の是非を載せ、後20巻では520編におよぶ諸家考証の是非を論じている。『集古録跋尾』をさらに詳細に完全にしたもので、この2大著述によって金石学の基礎が築かれた。本書は趙明誠が1129年に48歳で急死した後、妻の李清照が紹興年間に朝廷に奉じたものである。
金文 きんぶん 青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと(「金」はこの場合青銅の意味)。中国の殷・周のものが有名。年代的には甲骨文字の後にあたる。考古学的には、「青銅器銘文」と称されることが多い。また鐘鼎文とも呼ばれる。殷は青銅器文化が発達した時代であり、この文字を器の表面に鋳込む技術は現在でも解明されていない。金文は『史記』のような後世になって書かれた資料とは違い、完全な同時代資料であるためこの時代を研究する上で貴重な資料となっている。金文は拓本や模写によって研究されてきた。なお石などに刻まれた文章は石文と呼ばれ、一緒にして金石文と呼ばれる。またこれらを研究することを金石学という。
 
空画 くうかく 筆が次の線を描くためにいったん紙上を離れて運動したときの中空を動いた軌跡をいう。実画に対する語。(虚画とも)
群玉堂帖 ぐんぎょくどうじょう 南宋の外戚、官人であった韓?冑(かんたくちゅう、1152年 - 1207年)は、寧宗の皇后韓氏の同族でもあり、寧宗の下で専権を振るった。もっとも、自身の昇進には消極的で、枢密院武官の長である枢密都承旨の地位に長く留まったが、この職は皇帝近侍の地位として、皇帝の意思決定及び命令伝達に深く関与することができた。そのため、1180~1190年頃『群玉堂帖』全10巻を編纂した。→集帖
 ケ
 経訓堂帖 けいくんどうじょう 畢阮(ひつ げん、1730年 - 1797年)は、清の官僚、歴史家。字は??、号は秋帆、晩年は霊巌山人と号した。江蘇省鎮洋(現在の太倉)出身。蘇州の霊巌山で沈徳潜について学ぶ。1753年、郷試に合格すると内閣中書に任ぜられ、軍機処に入った。1760年に進士となり、1765年に翰林院侍読学士となった。1770年に陝西按察使、翌年には陝西布政使となった。官は最終的に湖広総督にまで昇った。湖広総督在任中の1796年、枝江の白蓮教徒聶人杰が蜂起すると畢?は枝江に向かいこれを鎮圧した。1797年に病死すると太子太保を贈られたが、1799年に白蓮教の鎮圧に力を注がずに軍費を濫用したとして、世職を奪われ、家財を没収された。学識は幅広く、経学・史学・金石学・地理学に通じていた。著作には『続資治通鑑』220巻がある。これは宋・遼・金・元の正史を通史とするために、『資治通鑑続編』『宋元資治通鑑』『続資治通鑑長編』『資治通鑑後編』などの史料をもとに、20年かけて編纂したものである。そして1790年頃『経訓堂帖』全12巻を編纂した。→集帖
芸舟双楫 げいしゅうそうしゅう 『芸舟双楫』(げいしゅうそうしゅう、『安呉論書』(あんごろんしょ)とも)6巻は、包世臣撰。論文4巻・論書2巻・付録3巻からなり、『安呉論書』と称するのは、この中の論書の部分を指す。本書は阮元の説を継ぐ北碑派の理論であり、碑学派の立場をゆるぎないものにして清朝末期の書道界に大きな影響を与えた。本書中、逆入平出の用筆を説き、この理論を趙之謙が実践した。また、ケ石如の篆書・隷書・楷書を天下第一と称揚し、さらに鄭道昭の名を広く世に知らしめた
形臨 けいりん 臨書の一種で、手本となる作品や古典の字の形をそのまま真似て書く臨書を指す。形を忠実に真似て書くことによって、点画の基礎や筆法、字の造形感覚を学ぶことを目的とする。書道の練習の基礎であり、臨書を行う上で最初に取り組むべきもの。→臨書
形連 けいれん 文字と文字が目に見える実線でつながっていること。意連に対する語。
戯鴻堂帖 げこうどうじょう 『戯鴻堂帖』(げこうどうじょう)16巻は、董其昌が万暦31年(1603年)に作成した。晋唐宋元の名品を集めたもの。→集帖
偈頌 げじゅ 経典中で、韻文の形で教理を述べたもの。禅宗では、悟りの境地などを表現する漢詩のことをいい、七言絶句が多く用いられますが、五言絶句や四六文で構成されることもある。偈頌は、梵語の「g?th?」(ガーター)のことで、原義は「歌」で、四句三十二字の韻文からなったものである。
『大唐大慈恩寺三藏法師傳』に「舊曰偈、梵文略也。或曰偈陀、梵文訛也。今從正宜云伽陀。伽陀、唐言頌。」、『一切經音義』に「伽陀、梵語。此方常頌、或云攝、言諸聖人所作、莫問重頌字之多少。四句為頌者、皆名伽他。案西國數經之法、皆以三十二字、為一伽陀。」、『妙法蓮華經玄贊』に「梵云伽陀、此翻為頌。頌者美也、歌也。頌中文句極美麗故、歌頌之故。訛略云偈。」とあり、梵語の「g?th?」は「伽陀」(かだ)と音写され「伽他」「迦陀」とも書き、「頌」(じゅ)と意訳されています。読みは呉音です。頌(しょう)は、『詩経』にみえる詩の形式で、『毛詩序』に「頌者、美盛コ之形容、以其成功告於神明者也。」(頌は、盛コの形容を美め、其の成功を以て~明に告ぐる者なり。)とあり、功績や徳などをほめたたえる歌のことです。
偈頌の「偈」は、梵語の「g?th?」の音写訛「偈陀」(げだ)の略で、そこに漢訳である「頌」をつなげた梵漢双舉の語です。
けつ 人工を加えぬ天然の立石のこと。円味があり小型である。
けつ 陵墓の前の神道の両側に対称的に建てられた石標のこと。銘文や画像を刻したものが多い。
結構法 けっこうほう 用筆の一種で、点画の開け方と点画の組み合わせ方を考えて書くこと。間架が点画と点画の間隔の取り方、結構が字形をまとめることを意味する。 例えば三、川のように縦画や横画が多くある漢字を書く際は、画と画の間隔を同じになるように書く。また、「三」や「春」といった漢字を書く際には、上の画は下に反り、下の画は上に反らすといった変化をつける。このように、間架結構法では漢字のそれぞれのパーツ(画)をどのように組み立てるか考えて書く。
結体 けったい 間架結構によって出来上がった文字の形をいう。
懸針 けんしん (懸鍼とも)筆法の一。縦の画の下端を筆をはらって針の先のように細くとがらすもの。→垂露:筆法の一。縦の画(かく)の下端を筆をおさえて止めるもの。→書法
懸腕法 けんわんほう 枕腕法、提腕法とともに腕法の一つ。筆を持った右手を、枕腕法では左手の上にのせ、提腕法では机上に接して支えるのに対し、肘を体側につけず、宙に浮かして書く方法→書法
 コ
広芸舟双楫 こうげいしゅうそうしゅう 『広芸舟双楫』(こうげいしゅうそうしゅう)6巻は、康有為撰。『芸舟双楫』の論を強調したもので、書の源流などを論じ、碑学を尊び、帖学を攻撃している。日本で訳本(『六朝書道論』)が刊行された。
剛毫(筆) ごうごう(ひつ 硬い毛でつくられた筆をいう。狼・鼠の髯・馬・狸などがある。柔毫に対する語
甲骨文 こうこつぶん 甲骨文字(こうこつもじ)とは、中国・殷(商)時代の遺跡から出土する古代文字。 漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖形を伝えている。古代中国で生まれ発達してきた文字(漢字)と獣骨を用いる占卜とが結びついて文字記録となったものである。亀甲獣骨文字、甲骨文ともいう。
絳帖 こうじょう 全10巻で,巻一は歴代帝王法帖,巻二〜四は歴代名臣法帖,巻五は諸家古法帖,巻六〜八は王羲之,巻九〜十は王献之をおさめている。法帖の権威として認められ,宋代に絳帖(ごうじよう),潭帖(たんじよう),大観帖その他多くの翻刻本または増補校訂本が行われ,明代以後にも多くの翻刻本ができている。→集帖
向勢 こうせい 相対する二本の縦画が互いに外側へふくらむように向き合った書風。「孔子廟堂碑」はその代表的なもの。 ⇔ 背勢 →書法
硬筆 こうひつ 筆記用具の分類のうち、毛筆の対義語としてペン・万年筆・鉛筆など「先の硬い」ものを指す語。主に書写(習字)の分野で用いられる言葉である。小学校の教科(国語)内には書写があり、通常1 - 2年生は「硬筆書写」をメインに行い、鉛筆やフェルトペンで各種文字の筆順などを学ぶ。日常生活で用いる筆記用具をそのまま使う硬筆書写は非常に実用度が高く、ペン習字として子供よりもむしろ社会人や主婦、老人の習い事として定着している。
硬筆書写検定 こうひつしょしゃけんてい 一般財団法人日本書写技能検定協会が実施する硬筆書写の技能検定である。文部科学省後援。
公募展 こうぼてん 主催者が作品を広く公募した上で、集まった作品に対し関係者および審査員などによる審査を経た入選作品を一般展示する展覧会の総称である。大半の場合、特定の美術団体が主催し、審査員もまたその美術団体の構成員であり、美術団体の会員による作品と公募・審査を経た入選作品が同時に展示される形態を取る。美術展覧会の形態のひとつでもある。
古今和歌集 こきんわかしゅう 平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。『古今和歌集』は仮名で書かれた仮名序と真名序[2]の二つの序文を持つが、仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された[3]。ただし現存する『古今和歌集』には、延喜5年以降に詠まれた和歌も入れられており、奏覧ののちも内容に手が加えられたと見られ、実際の完成は延喜12年(912年)ごろとの説もある。撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人である。序文では友則が筆頭にあげられているが、仮名序の署名が貫之であること、また巻第十六に「紀友則が身まかりにける時によめる」という詞書で貫之と躬恒の歌が載せられていることから、編纂の中心は貫之であり、友則は途上で没したと考えられている。
国風文化 こくふうぶんか 日本の歴史的文化の一つである。10世紀の初め頃から11世紀の摂関政治期を中心とする文化であり、12世紀の院政期文化にも広く影響を与えた。江戸時代から用例はあるが、「国風文化」という用法は小島憲之の『国風暗黒時代の文学』により国文学史の分野で一般的となり、その後歴史や美術史へ転用された。原義の「国風」とはくにぶり(地方の習俗)の意味であり「雅(みやび)」に対置される概念であるが、日本での国風文化は雅風への展開という意味合いで使われている。
梧竹堂書話 ごちくどうしょわ 『梧竹堂書話』(1931年、中林梧竹)は、海老塚四郎兵衛(『書聖梧竹と書の鑑賞』の著者)と梅園方竹(宮内省の書家)が中林梧竹の書論を編集し、昭和6年(1931年)に出版したもの。梧竹は晩年の書道観の集大成として書論をまとめて出版しようとしていたらしく、明治43年(1910年、梧竹84歳)の頃には100冊の原稿がほぼ完成していた。しかし、刊行を待たず逝去し、その後その原稿は行方不明となり、これとは別に発見された数冊の原稿が本書である。よって文章の配列も体系的ではないが梧竹の人生観・芸術観に立脚した論説であり、書論ではあるが人生教訓ともなり得る内容となっている。本書冒頭に総序として、「凡そ書に法無きものは、もとより論ずるに足らざるなり。法ありて法に囿せらるるものも、また未だ可ならざるなり。有法よりして無法に帰し、法なくして法あるは、いわゆる神にして化するもの、これを上となす。」とある。これは、書法は大切だがそれにとらわれてはいけない。作意や書法の目立つうちはまだ本物ではない、との論旨であり、この境地は書の理想であり名人芸について述べたものである。また、「筆意を漢魏に取り、筆法を隋唐に取り、これに帯ばしむるに晋人の品致を以てし、これに加うるに日本武士の気象を以てす。これ吾が家の書則なり。」とあり、さらに、「古人を奴する者は少なく、古人に奴せらるる者は多し。能く古人を奴するに至っては則ち書もまた不朽の盛事なり。」とある。古典を手本にするにしても、一生古人の模倣に終わってはならない。奴書を警戒し個性豊かな書作が必要であると強調している。→日本の書論
古典 こてん 1.古い時代に著された、立派な内容の書物。2.(古典?も含めて)過去の時代に作られ、長年月にわたる批判に耐えて伝えられ、現代でも文化的価値の高いもの、特に文芸作品。→書道
骨法 こっぽう 点画の力のかかり方をいう。また、三折法などの説明のために線を用いて書き示したものをいう。
骨力 こつりょく 書画などの書き方にこもる力。筆勢のこと。
古筆 こひつ 平安時代から鎌倉時代にかけて書かれた和様の名筆をさしていう。時にはもっと範囲を狭くしてその名筆中でも特に「かな書」をさす。単に古代の筆跡という意味ではない。 また、僧による名筆は墨跡と呼ばれ区別される。
古筆切 こひつぎれ 古筆は主に貴族文化の中で、本来、冊子や巻物という完全な形で大切に保存、鑑賞されていた。しかし、古筆愛好熱が高まり古筆の絶対数が不足してくると切断されることになり、この切断された断簡が「切」と呼ばれるもので、ここに古筆切(こひつぎれ)、歌切(うたぎれ)が誕生する。古筆切は保存にも鑑賞にも不自由なため、これを収納、鑑賞するための帖(手鑑)が発達した。江戸時代初期、17世紀中頃には町人のあいだでも大流行したことが、当時の『仮名草子』に記されている。また、『茶会記』には、古筆切は茶席の床を飾る掛物としても用いられ始めたことが記されている。
古筆見 こひつみ 古筆の真偽を鑑定すること。また,それを専門にする人。古筆家。→古筆了佐―古筆家・別家
古文 こぶん 漢字の書体の一種。広い意味での篆書系統の文字である。広義には秦の小篆以前に使われていた文字を指すが、狭義には後漢の許慎による字書『説文解字』や魏の「三体石経」に「古文」として使われている文字、さらに出土文物である六国の青銅器・陶器・貨幣・璽印や長沙仰天湖楚墓竹簡・信陽楚墓竹簡・楚帛書といった文書に使われている文字を指す。
古墨 こぼく 文房四宝における墨の中で、製造されてから長い年月を経ているものをいい、品質の良い墨とされている。通常、唐墨は清時代までに、和墨は江戸時代までにつくられたものを古墨と称す。ただし、今ではほとんど入手不可能であり、100年以上前の墨は古渡りものにたよる以外ない。
古文書 こもんじょ 広く「古い文書」の意味でも使われるが、歴史学上は、特定の対象(他者)へ意思を伝達するために作成された近世以前の文書を指す。特定の相手に向けたものではない文書、例えば日記や書物などは古記録と呼んで区別される。日本史の分野で多く用いられる用語であり、日本以外をフィールドとする場合、古記録とまとめて文書史料、略して文書(もんじょ)と呼ぶことが多い。
古隷 これい 篆書から八分に移る過渡期のもので、挑法・波磔もなく、点画の俯仰の弊もなく、篆書の円折を省いて直とし横としただけの古拙遒勁な書風で、いわば篆書の速書きから生まれたものである。 古隷は、程?という人が罪によって獄中にある時、小篆を整理し簡略化して作ったもので、始皇帝は大変喜んで直ちにその罪を許し、この文字を徒隷の事務用文字として採用したという伝説がある(中国の書論#古隷の創始者を参照)。しかし、これはあまり信頼できる話ではない。古隷の代表的な刻石として、『魯孝王刻石』(前漢)、『莱子侯刻石』(新)、『三老諱字忌日記』(後漢)、『開通褒斜道刻石』(後漢)、『大吉買山地記』(後漢)などがあり、また、木簡や陶器や銅器などにも多く見ることができる。素朴で何ともいえぬ親しみを感じる書風である。



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書道用語辞典 あ行 か行









ア行

当たり あたり 送筆途中で方向を変えるとき、穂先を突くようして筆圧を加えたところのこと。
握拳法 アツキョホウ 書法の握拳法。手全体で筆管を握って持つ方法である。指全てが筆管にかかるため豪快な線が表現できる。
暗書 アンショ 手本の字形、筆使いを覚えてから、手本を見ずに空で書くことをいう
 イ
一筆書 イッピツショ 王献之の一筆書。「筆記具を平面から一度も離さず線図形を描く」ことである。狭い意味では、これに加えて「同じ線を二度なぞらない(点で交差するのはかまわない)」という条件が加わる。連綿を多用して4〜5字、時には1行すべてを繋げて書く「一筆書」は、作品に自由奔放で華やいだ趣を与えています。
意臨 イリン 臨書
意連 イレン 一つの文字の初めから終わりまで、または、一つの作品の初めの文字から終わりの文字まで、意が一貫して連なっていること。形連に対する語
いろは歌 いろはうた すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文(ずもん)のこと。七五調の形式となっている。のちに習字の手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。
印可状 インカジョウ 禅林墨跡の印可状
印矩 インク 印章の印矩
印稿 インコウ 印面に布字する前に作る草稿のこと。
陰刻 インコク 石または金属に文字を刻するとき、文字線を彫り、文字を凹めたものをいう。逆に文字を彫り上げたものを陽刻という
引首印 インシュイン 作品の右肩に押す印のこと。多くは長方形、楕円形をしている。
印褥 インジョク 印章の印褥
院体 インタイ 徽宗のとき、書院と画院を併設し、書院では王羲之の『集字聖教序』を学習させたが、これがマンネリ化して卑俗な書風に陥ってしまった。この書風を院体という
韻致 インチ 風流な趣のことをいう
印泥 インデイ 印を押すときにつける印肉や朱肉のことで、中国での呼び名。
よもぎを乾燥させて作った「艾(もぐさ)」と硫化水銀の「珠砂」(朱砂)と植物油が主原料である。天然の珠砂は高価であり、多くは人工的に水銀と硫黄から合成した珠砂を使用している。 印泥の殆どは中国で製造されている。
「箭鏃朱砂印泥」 :黄色っぽく鮮やか・高級
「光明朱砂印泥」 :赤みを増したもの
「美麗朱砂印泥」 :さらに濃い赤
印譜 インプ 印籍の一種で、鑑賞や研究を目的として印章の印影および印款を中心に掲載した書籍である。原印を直接ツした原ツ本と、模刻した印をツしたツ印本、木版などに写した翻刻本がある。中国や日本の近世・近代に文人や篆刻家によって盛んに刊行された。
最初の印譜は、中国北宋の大観年間に楊克一が出版した『集古印格』とされる。続いて宣和年間に徽宗が撰した『宣和印譜』とされるがこれは伝存していない。宋・元を通じて16種の印譜が出版されたがいずれも翻刻であった。
原ツ本が伝わる最古の印譜は明代の隆慶6年(1572年)に出版された、顧従徳の『集古印譜』である。初版は僅か20部であり、秦・漢の古印の印影を1700方余り集めている。現存しているのはこのうちの1部(1帙5冊・欠1冊)である。万暦年間に王常の協力を得て翻刻し、最終的には4000方近くにまでの印影を集めた。増刷の過程で複数の異なった書名となり、『顧氏芸閣集古印譜』・『顧氏印藪』・『王氏秦漢印統』などがある。篆刻芸術の黎明期と重なり、多くの篆刻家がこの印譜の啓発を受けている。
内容で分類すると、古銅印譜と近人印譜に分けられる。古銅印譜は、古代の主に青銅製の印(古銅印)を収集して押した印譜である。近人印譜は、明時代以降(日本では江戸時代以降)、文人による篆刻が盛んになった情勢下に編集された、篆刻家の印(主に石材の印)の印を押したものである。後者には、篆刻家自身の編集によるもの、コレクターが編集したもの、画家や書家が使用した印を集めたもの(自用印譜)などがある。
陰文 インブン 印章や石碑・鐘・鼎 (かなえ) などに陰刻された文字。篆刻・木彫などで文字の部分を凹にしたものをいう。
 ウ
烏金拓 ウコンタク 烏の羽根のように真っ黒にとった拓本のこと。対して「蝉翼拓」(せんよくたく)は蝉の羽根のように薄くとったものをいう。 もともと中国で拓本が生まれたのは、碑文を写し取るためだったので比較的濃く採るのを基本としていた。
歌切 うたぎれ 手鑑てかがみに貼ったり、または掛物を作るために、和歌を書いた巻物・冊子などの古人の筆跡を適当な大きさに切り取ったもの。
→韓藍花歌切(からあいのはなのうたぎれ)とは、万葉仮名で書かれた『韓藍花歌』(短歌)の断簡である。
→古筆了佐#古筆切を参照
手鑑や茶会の床の掛物として古筆切の鑑賞が盛行すると、その筆者が誰であるのかということが重要になってくる。そして鑑定を依頼するようになり、古筆の真贋を鑑定する古筆鑑定家が生まれた。
鬱岡斎帖 ウッコウ
サイジョウ
(『鬱岡斎墨妙』とも)10巻は、王肯堂が万暦39年(1611年)に作成した。鍾?・王羲之から蘇軾・米?まで、晋唐宋の名品を集めたのも。
→鬱岡とは「現実」に実在の人物 何にも見えない、架空の人物をいう。
→集帖とは複数の書人の名跡を集めて石や木などに刻した法帖のこと。
裏打ち うらうち 書・水墨画・水彩画など掛軸や額装において、裏側にさらに紙や布などを張り、水分と乾燥による起伏をなくしたり丈夫にすること。
書を掛軸にする場合などで行われる工程のひとつ。本紙(書画が書かれた紙)より大きめの湿らせた和紙に本紙を重ね、霧吹きや刷毛でシワを取り除き、別の裏打ち用の和紙にのりを塗り裏返した本紙に重ねて貼り付け、最初の和紙を取り除く一連の作業を指す。
雲崗石窟 ウンコウ
セックツ
中国の仏教遺跡。シャンシー (山西) 省タートン (大同) 市西方 15kmにある雲崗の武州川沿い砂岩の断崖にある。大同市に近いので大同石窟ともいう。東西 1kmほどで,石窟の総数は 42。
運筆法 ウンピツホウ 書の技能は,執筆法あるいは運筆法として,古来,多くの書論,書法によって継承されて きた.執筆法とは筆の持ち方をいい,また運筆法とは腕の運動のさせ方をいう.これら執筆法,運筆法は,いわゆる"型"を解説したものともいえるが,これは単に手指の構えや運 動を外観するにとどまらず,その"型"を遂行するための動作のイメージをも含んでい るようである. →用筆法。→永字八法
 エ
永字八法 エイジ
ハッポウ
永の字一つですべての漢字の筆の運び方を修練できるというもの。側そく・勒ろく・努・?てき・策・掠りやく・啄たく・磔たくの八種の筆法。 〔漢の蔡?さいようの考えだしたものとされる。
絵文字 えもじ 語(音形)ではなく、ものや事柄を、絵を文字のように用いて象徴的に示唆したもののこと。
・主に古代に用いられたロンゴロンゴ文字などの絵を利用した古い文字
・象形文字以降に用いられた複数の絵を文字とした表語文字の意味も含んだマヤ文字などの文字
・ナスカの地上絵などに見られる意味がありそうな絵
・中世以降に用いられた文字が読めない人のために絵を組み合わせて文章を表すもの
・標識などに使用されるピクトグラム
・説明書などで文字ではなくアイコンで意味を示したもの
・通常の言語の文章中で文字に該当する役割で使用される絵や記号
・携帯電話で用いられUnicodeでも採用された文字コードに含まれるEmojiともよばれる絵
円勢 エンセイ 方勢の対語。点画に丸味をつけたものをいう。篆書の用筆がこれにあたる。円筆ともいう。→書法の円勢、→御家流、→尊円流、→青蓮院流。
 オ
御家流 おいえりゅう 粟田流とも尊円流ともいわれる。尊円親王 (一二九八〜一三五六) を始祖とする和様の代表的書風で、江戸時代に流行した。→尊円流、→青蓮院流。
横画 オウカク 文字を書く場合、一番頻度が多いのが、横に書く線「横画」である。横画を書く際のポイントは「やや右上がり」に書くことで、右下がりはもとより、真横に書いても字形が安定して見えないものである。→筆画
黄檗の三筆 おうばくのさんぴつ 江戸初期ごろ、明国は清に滅ぼされたため,日本に亡命する意味もあって,1653年(承応2)"独立"【どくりゆう】が初めて長崎に渡来,翌年"隠元"が来り,その門下の"木庵"・"即非"も来朝し,黄檗山万福寺の住持となった。この隠元・木庵・即非を〈黄檗の三筆〉,また〈隠木即〉と呼ぶ。鎖国下にあって長崎は唯一の外来文物の門戸で,長崎を中心に新しい明代の書が取り入れられた。
黄麻紙 おうまし 虫害を防ぐためにキハダなどで染めた黄色い麻紙。奈良時代、写経に用いられた。きのまし。黄紙。こうまし。→宣命
男手 おのこで 漢字を楷書や行書で書いたもののこと。真仮名(まがな)ともいう。平安時代、男性が正式に用いていた文字が漢字(万葉仮名)であったため男手と呼ばれていた。男手に対して、当時女性が主に使っていた平仮名を女手という.→日本の書道史女手
女手 おんなで 仮名は数字分を続け字にするいわゆる連綿でもって綴られ、女性が使うことが多かったことから女手(おんなで)とも称した。







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