書道用語辞典

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ナ・な    ハ・は








「中国の書家」

称号 書 家
書聖 ・王羲之
草聖 ・張芝(草書)
・張旭(狂草)
二王 ・王羲之(大王)
・王献之(小王)
二大宗師 ・王羲之・顔真卿
古今の
三筆
・王羲之・鍾鷂・張芝
初唐の
三大家
・欧陽詢・虞世南・緒遂良
唐の
四大家
・欧陽詢・虞世南
・緒遂良・顔真卿
宋の
四大家
・蘇軾・米沛
・黄庭堅・蔡襄
楷書の
四大家
・欧陽詢(欧体)
・顔真卿(顔体)
・柳公権(柳体)
・趙孟黼(趙体)
四賢 ・張芝・鍾鷂
・王羲之・王献之



















「日本の書家」
三筆 空海・嵯峨天皇・橘逸勢
三跡 ・小野道風(野跡)
・藤原佐理(佐跡)
・藤原行成(権跡)
書の三聖 ・空海・菅原道真
・小野道風
世尊寺流の三筆 ・藤原行成・世尊寺行能
・世尊寺行尹
寛永の三筆 ・本阿弥光悦・近衛信尹
・松花堂昭乗
黄檗の
三筆
・隠元隆g・木庵性滔・即非如一
幕末の
三筆
・巻菱湖・市河米庵・貫名菘翁
明治の三筆 ・中林梧竹・日下部鳴鶴・巌谷一六
昭和の三筆 ・日比野五鳳・手島右卿・西川寧
近代書道の父 日下部鳴鶴
現代書道の父 比田井天来
















 ハ行

 語
読み
  説  明
背勢 はいせい 相対する二本の縦画が互いに背を向け合うように書かれた書風。「九成宮醴泉銘」はその代表的なもの。→書法 
背臨 はいりん 手本を伏せて見ないで書くこと。手本を見て書く臨書に対していう。→臨書
帛書 はくしょ 古代中国などで製作された帛と呼ばれた絹布に書かれた書。絹布に書かれた文字、及び、絹布の両方を指し、文字のみを指す場合は「帛書文字」、書写材料として見た下地については「帛(はく)」、若しくは「絹帛(けんはく)」という。絹帛は「細かく織った絹」を指す
幕末の三筆 ばくまつのさんぴつ 江戸時代の終わりから、書のみを生業として生活する専門家、いわゆる書家が登場したが、江戸時代末から明治時代初期に活躍し、多くの書家に唐様の影響を与えた市河米庵・巻菱湖・貫名菘翁の3人を幕末の三筆と呼ぶ。
破体 はたい 正しくない字体。略字や行・草の中間の書体等の意をもつが、一つの作品を楷・行・草の各体で書くことをいう。
波磔 はたく 横画の収筆時の右はらいに似た装飾で、永字八法の「磔」のこと。
ばつ (跋尾(ばつび)とも)とは、書画などの末尾につける文。欧陽脩が金石文の跋尾を書いてから、蘇軾や黄庭堅がこれにならったので盛行した→題跋
莫高窟 ばっこうくつ (敦煌石窟とも)敦煌の街からは約25キロ、鳴沙山の東端の断崖に彫られた石窟群です。伝説によれば五胡十六国時代の366年に鳴沙山を訪れた僧が金色の千仏を見て石窟を作り始めたと言われています(近くの三危山に仏の姿を見て対岸の鳴沙山の断崖に彫ったんだという説もあるそうです)。 地球の歩き方などの日本で買った本によると「492の石窟」が確認されているとありましたが、現地ガイドさんによると、これは壁画や塑像のある石窟の数で、最近では僧が暮らした「僧院も合わせて735の石窟がある」と説明しているとのこと。 莫高窟の石窟の中で、一番古いものとされているのは5世紀前半の北涼期(五胡十六国時代)で、その後、北魏、隋・唐、五代十国、宋、西夏、元と延々1000年に渡って石窟の造営が続いたというから凄いですね。中国の各王朝の美術史が詰まっているような場所です。
撥鐙法 はっとうほう
(指実掌虚(しじつしょうきょ)とも)筆を浅く執り、自由に筆を動かして書く筆法。
八分 はっぷん 漢字の書体の一つ。秦代にできた隷書が,漢代には標準的なものとして使われるようになり,その隷書のうち,前漢の後半期に起ったもので,線が波形で筆端をはねる「波磔 (はたく) 」をもつ書体を八分という。名称の由来については,「八」字のように左右均整のとれた字形であるからとする「八字分背説」のほか,秦隷の八分を去り,小篆の八部をとったからとする説,古意八分に新意二分が加わったとする説など諸説がある。また伝説では王次中あるいは蔡 ?がつくったとされるが,実際は一人の手に成るものではない。隷書と八分を同義に使うこともある。漢隷とも呼ばれる。
発墨 はつぼく 磨墨に伴い墨汁の表面がキラキラと光を発するように美しく、濃墨色になることをいう。「-が良い」などと用いる
半紙 はんし 和紙の寸法の事実上の標準規格であり、現在では横25センチメートル程度、縦35センチメートル程度に裁断されている。もともとは大判の杉原紙(全紙)を半分に切って用いた事から、この名がある。
平安時代の「延喜式」の細則に和紙の規格の記載があり、その寸法は、横二尺三寸(70センチメートル)、縦一尺三寸(39センチメートル)でありそれを半分に切って使ったことからこのように呼ぶようになった。江戸時代には専ら包装用に用いられ、明治時代から習字に用いるようになった。これを更に半分に裁ち(半裁。全紙の1/4になる)、二つ折りにしたものが、力水を吐き出す際に使う「力紙」。
現在では、毛筆習字用に文房具として大量生産されており、最初からこの大きさで漉かれている。もっとも最初からこの大きさ=半紙規格で作られるのは半紙の極々一部「手漉半紙うちの一枚漉き」だけである。この一枚漉き手漉半紙が通常の半紙販路で流通することは稀、と言うよりほとんどない。これ以外の半紙のまず全てが、それが手漉であれば「4丁とり」「6丁とり」等と呼ばれる半紙「4枚」、「6枚」大の寸法で製紙され、製紙の後半紙判に裁断される。機械で漉く半紙は巾も1800mmと広いロール状で製紙され半紙に裁断する。同一性質の半紙でも需要等の状況により製紙されるロールの太さ=半紙の枚数は異なるが、文具ルートや書道ルートの販路に流通する半紙は平均で40万枚程度が一回の製紙で作られる。
B版も元が和紙の規格であるため、B4用紙(257×364)は半紙と同じ大きさである。(⇒B4判は書で通常用いられる半紙の規格ではない。書道で使用される半紙は243×333mmであり、この規格が書道・習字の半紙のほぼ全てを占める。B4判257×364mmに近い規格の紙で書で使用するものに「半懐紙 約250×360mm」がある。半懐紙は一般的に多用される書の半紙とは一線を引き「仮名書道」を主対象として作られる料紙の規格のひとつである。
般若心経
はんにゃしんぎょう 正式名称『般若波羅蜜多心経』は、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典で、般若経の1つともされる。 僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられている。
 ヒ・ひ
人類が何らかの目的をもって銘文を刻んで建立した石の総称。「碑」ともいう。墓石としてなど他の目的を持たず、銘文を刻むこと自体を目的とするものをいう。なお、何かの記念として建てられたものを記念碑、和歌・短歌や歌の歌詞を刻んだものを歌碑、俳句を刻んだものを句碑、詩を刻んだものを詩碑という。
碑学 ひがく 中国,北朝の碑の書風を学ぶ一派のこと。法帖(ほうじよう)によって学ぶ立場の帖学に対していう。帖学は王羲之一派の書風を尊び,宋・元・明より清朝の嘉慶(1796‐1820)の末年ごろまで盛んに行われたが,金石学の発展に伴って碑学がしだいに優勢になった。ケ石如(とうせきじよ)は篆隷(てんれい)の書法をよくし,碑学の開祖とされる。当時,書を学ぶ者に大きな刺激を与え,北朝の碑が重んじられる端緒を開いたのは,阮元(げんげん)の《南北書派論》と《北碑南帖論》である。
碑学派 ひがくは 清代前半期,乾隆ころまでは,明代中期以来流行した法帖をよりどころとする帖学派が盛行し,後半期嘉慶(1796‐1820)以後は主として北朝の石刻文字を学ぶ碑学派の活躍が注目される。まず順治・康熙・雍正年間を帖学前期とし,王鐸と傅山2人をその代表とする。
碑帖 ひじょう 中国では、紙の発明以前は金石文が深く根づいていた。書蹟を模写(臨書)して学書する場合、必ず碑の拓本に触れることになり、法帖ともども学書には欠かせない。 しかし、碑は大きいものも多く、採拓に多くの紙を要する場合もあり、保存・観賞用としてはともかく学書用には煩瑣である。 また碑形も正方形から摩崖のような全くの不定形まであり、題額の有無、両面の刻字か否かと、刻まれ方も種々ある。 このため、拓本を加工して鑑賞・学書を容易にしたのが「碑帖」である。 なお、紙の書蹟を石や木に転写して拓本を採る「模刻」は法帖の作成法であり、これに含めない。
非草書 ひそうしょ 『非草書』は、後漢・趙壱撰。現存する最も古い書論とされる。当時は草書が流行していたが、本来、早書きが目的の草書が懲りすぎて、却って時間のかかるものになったとして草書の形骸化を非難したものである。また、「草書学習に梁孔達・姜孟頴の書を手本にした。」との記述があり、当時の法書が存在しない今、貴重な資料となっている→中国の書論
筆圧 ひつあつ 紙に加えられた筆の圧力をいう。筆管の握りに強弱の変化をつけて圧力を正しく加えると書の線は生気を帯び、余白を輝かすが、間違えて加えると低俗な書になる。
筆意 ひつい 筆を運ぶときの筆者の意図、心構え、気持ちなどをいう。
筆架 ひっか 筆かけのこと。
筆画 ひっかく 漢字の字体を構成する要素の一つで、最小の単位である。点画(てんかく)ともいう。筆を下ろして書き始め、再び離すことでできる「線」または「点」である。筆画の数を画数(かくすう)といい、1画、2画と数える。また筆画を並べていく順序を筆順という。筆画は、横画・縦画・斜画・点の4つに大きく分けられる。
・横画(おうかく)とは、水平方向(横)に書く線をいう。・縦画(じゅうかく)とは、垂直方向(縦)に書く線をいう。・斜画(しゃかく)とは、斜めに書く線で、左はらい、右はらい、左はね、右はねのことをいう。古くは永字八法という「永」の字を使った書法で筆画の基本を説いていた。側(ソク、点)、勒(ロク、横画)、努(ド、縦画)、?(テキ、左はねの斜画)、策(サク、短い右上がりの横画)、掠(リャク、左斜めはらいの斜画)、啄(タク、短い左斜めはらいの斜画)、磔(タク、右斜めはらいの斜画)。ただし、これはあくまでも書法の説明であって筆画を分析したものではない。現在の中国では約30ほどの筆画が設けられている。点(丶)、横(一)、竪(ジュ)(h たて)、提(右上斜めはね)、?(ヘツ)(丿 左斜めはらい)、捺(ナツ)(? 右斜めはらい)、鉤(コウ)(?・亅 かぎ:横画または竪画からのはね)、折(? おれ)の8つを基本とし、あとはその応用で説明される。
筆管 ひっかん 筆の軸(竹筒などの細い棒)のこと。筆竿(ひっかん)
筆耕 ひっこう 報酬を得て筆写をすること。その人。
筆触 ひっしょく 筆と紙の摩擦のしかたをいう。筆ざわり、タッチのこと。
筆勢 ひっせい 筆の力、運筆の勢いのこと
筆跡 ひっせき 書かれた文字。その文字の書きぶり。
筆致 ひっち 筆のおもむきや書きぶりをいう。
筆鋒 ひっぽう 筆の毛の先端のこと。
筆法 ひっぽう 1 筆の用い方・運び方。「力強い筆法」2 文章の書き方。表現の方法。「史記の筆法」3 物事のやり方。方法。「彼一流の筆法で処する」 東洋画,特に水墨画における運筆法で,直筆,側筆,逆筆などがある。直筆は筆を画面に対し直角に立てるもので,線描に多く用いる。側筆は筆を斜めに使う筆法で,筆跡は太く,ときに片ぼかしとなる。逆筆は,穂先の向きと逆に線を引くことで,かすれたような筆跡を生む。ほかに,墨を多くふくませない渇筆などの法もある。
筆脈 ひつみゃく 筆の動きの経路の必然的なつながりをいう。
筆力 ひつりょく 筆の勢いのこと。
飛白 ひはく 1 漢字の書体の一。刷毛 (はけ) 状の筆でかすれ書きにしたもの。後漢の蔡? (さいよう) の考案とされ、扁額 (へんがく) などに用いられる。2 絣 (かすり) の模様。また、その織物。かすり。3 「双鉤 (そうこう) 2」に同じ。

明代の趙イ光

草篆(そうてん) 飛白体の一種、篆意を汲んだ草書、など様々な説明が見られるが、一般的には草書の筆意を加味した篆書を指す。
平仮名
ひらがな 漢字の草体から作られた草仮名(そうがな)をさらに簡略化したもの。平安初期から中期にかけて、主に女性が歌や手紙を記すのに盛んに用いたことから発達した。女手(おんなで)。かんな。かな。→片仮名
 フ・ふ
俯仰法 ふぎょうほう 筆を運ぶ方に筆管を倒して書く用筆法で、 右に進む時掌は仰ぎ、左に戻るとき掌が 俯すのでこう言う。手首を使う技巧に走る きらいがあり、用筆も不自然なため、あま り初心者にはすすめられない。→書法
布置法 ふちほう 各字を配置するのに各字の間隔、すなわち文字と文字との余白を考慮することが布置法として大切なことである。
布置章法 ふちしょうほう 布置章法ふちしょうほうとは、文字の配列具合によって行の構成の仕方や中心の取り方を考え、作品全体を組み立てて調和と変化を図ること。布置法と章法の二つに分けられる。布置法は字配りや配置など全体のまとめ方を指し、章法は行の構成や文章全体のバランスの取り方を指す。 同じようなバランスの取り方として間架結構法があるが、間架結構法では文字一つ一つの形を整えるのに対して、布置章法では文章や作品全体のバランスを考える。→書法
文検 ぶんけん 旧制の文部省教員検定試験の略。
文房四宝
ぶんぼうしほう 中国文人の文房趣味のひとつで筆墨硯紙の四つを指す。 別に文房四友(ぶんぼうしゆう)という言い方もある。
文房四寳の知識         
 ヘ・へ
米庵墨談 べいあんぼくだん 米庵墨談(べいあんぼくだん、3巻・続編3巻、1812年、市河米庵著)は、書法の源流・執筆の要領を論じ、また文房全般を詳説している。(べいあんぼくだん、3巻・続編3巻、1812年、市河米庵著)は、書法の源流・執筆の要領を論じ、また文房全般を詳説している。米庵は草書について、「草書を学ぶには王羲之の『十七帖』を習うべきことは周知のとおりだが、その前に孫過庭の『書譜』を熟学する必要がある。王羲之の草書の法脈が存するのは過庭に勝る者なし。(趣意)」と巻1「十七帖」に記している。→日本の書論
変体仮名
へんたいがな 平仮名の字体のうち、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の学校教育で用いられていないものの総称である。平仮名の字体の統一が進んだ結果、現在の日本では変体仮名はあまり使用されなくなったが、看板や書道、地名、人名など限定的な場面では使われている。異体仮名(いたいがな)とも呼ばれる。また、ケンペルの日本誌では、大和仮名(やまとがな)とも表記されている。変体仮名に対し、現在使われている字体を「現用字体」「現用仮名」「正体仮名」「本則仮名」と呼ぶ。また、変体仮名の使い分け(現用字体を含む)のことも「変体仮名」と呼ぶことがある
 ホ・ほ
倣意 ほうい (倣書(ほうしょ)とも)古人の筆意、または書風をもって書をかくこと。またはその書。
宝翰斎帖 ほうかんさいじょう 集帖界の王者として君臨する『淳化閣帖』10巻には二王の書が半分の5巻を占めており、法帖の主流は王法であった。明代には多くの名跡が集刻され、顔真卿をはじめ、宋・元の書も刻されるようになった。明の茅一相が1489年に集帖し、宝翰斎帖 全16巻を編した。→集帖
宝賢堂帖 ほうけんどうじょう 集帖界の王者として君臨する『淳化閣帖』10巻には二王の書が半分の5巻を占めており、法帖の主流は王法であった。明代には多くの名跡が集刻され、顔真卿をはじめ、宋・元の書も刻されるようになった。明の朱奇源が1585年に 宝賢堂帖全12巻を編した。→集帖
法語 ほうご @ 仏教の教義を説いた言葉。仏・菩薩や高僧の教説。 A 日本で、仏教の教義をわかりやすく述べた作品。漢文のものもあるが、仮名交じり文のものが多い。入宋・入元した禅僧は、その参禅した師匠から書き与えられた印可状・字号・法語・偈頌などを持ち帰えり、それが大切に保存されて墨跡として珍重されている。それらの墨跡の中で特に注目されたものは、まず第一に今日、日本に伝わる最古の圜悟克勤のもの、その法嗣の大慧宗杲のもの、密庵咸傑・無準師範・虚堂智愚など虎丘派のもので、圜悟克勤の系統の楊岐派のものにほぼ限られている。これらの禅僧も張即之と交流を結び、その影響を受けた者が多い。元代の墨跡では松源派の古林清茂・月江正印・了庵清欲、大慧派の楚石梵gなどのものが注目され、趙孟?の影響を受けている。→禅林墨跡
法書 ほうしょ 手本となり得る優れた書をいう。
膀書 ぼうしょ かけ札や額などの極大字の書をいう。
法帖 ほうじょう 書道において紙に筆と墨で書かれた書蹟のうち、保存・鑑賞・学書用に供するために仕立てられたもののこと。ほとんどの場合中国の書蹟に用いられる語である。多くは本人が制作したものではなく、後から紙をつなぎ合わせるなどの加工を行ったり、模写・複製などを行って制作したものである。また俗にはある程度の分量を持った近世以前の書蹟をこう称することもある。
法書要録 ほうしょようろく 中国の書道に関する文献集。唐代に張彦遠(げんえん)が編纂(へんさん)したもので,後漢から唐の9世紀初めまでの文献を収録。中国書道史研究上最も重要な資料の一つ。
方勢 ほうせい (方筆とも)起筆や収筆の形が角張った線で書かれた書風のこと。側筆を用いる。「方」には角張ったという意がある。隷書になってから篆書の円から「方」に変わってきた。円勢に対する語。→書法
鋒鋩 ほうぼう 刀のさきのこと。墨道にある粒のこともこのように呼ぶ。→硯
墨汁 ぼくじゅう 磨墨液のことをいう。または、液体の状態で市販されている墨のことをいう
墨跡 ぼくせき (墨蹟・墨迹とも)禅僧の筆跡の習慣的呼称。本来は「書いた筆のあと」(筆跡)を意味し、中国では「墨迹」とも書いて広く肉筆一般をさすが、わが国では、とくに中国・日本の禅僧の筆跡に限定して墨跡の語が用いられる。なかでも、中国の宋(そう)・元時代の禅僧、および日本の鎌倉・室町時代の禅僧が書いたものを珍重するが、さらに範囲を広げて江戸時代以後の臨済宗や黄檗(おうばく)宗の僧侶(そうりょ)のものも、そのなかに含めて考えられている。室町時代、村田珠光(じゅこう)らによって茶道が盛行するにつれて、墨跡は茶席の掛物の第一に置かれてきた。それは、書かれた文句の心、および筆者の徳に対して、尊敬されたところにある
 墨跡には、さまざまな内容があり、およそ次のように区分される。(1)印可状(いんかじょう) 師が弟子に対して、修行を終えた証明として与えたもので、墨跡のなかでもっとも重要とされるもの。
(2)字号(じごう) 師が弟子に号を授与するのに、自筆で大書したもので、印可状と同様に権威をもつ。
(3)法語(ほうご) 仏法の尊厳を説き、自己の悟りの境地を示したもので、師から弟子へ、また同輩の間でも書き贈られた。
(4)偈頌(げじゅ) 五言・七言などの韻文体のもので、偈ともよぶ。法語とほぼ同様な内容である。
(5)遺偈(ゆいげ) 禅僧が死の直前に、弟子たちに辞世の句として書き残したもの。
(6)餞別語(せんべつご) 中国に渡った日本の禅僧が、帰国に際して歴訪した寺の高僧に書いてもらった法語や偈など。
(7)進道語(しんどうご) 師から弟子に、禅の肝要を説いて修行の助けとしたもの。
(8)額字(がくじ) 禅寺の建築の内外に掲げる額の文字。
(9)書状(手紙)。
 これらの墨跡は、書法にこだわることなく、筆者自身の修行の果てに到達した高い精神性が端的に表れた破格法外の書が多く、その個性味豊かな書風が尊ばれている。
墨池堂選帖 ぼくちどうせんじょう 明末頃の章藻が1602年 - 1610年にわたり、墨池堂選帖全5巻をへんした。集帖の起源については種々の説があるが、南唐の李後主の『昇元帖』・『澄清堂帖』が集帖の祖といわれている。以後、数多くの集帖が編されているが、その大部分は行書・草書の書簡である。宋の『淳化閣帖』、明の『停雲館帖』・『余清斎帖』、清の『三希堂法帖』などが著名である。→集帖
墨豬 ぼくちょ (墨猪とも)とは、肉ばかりで芯に骨のない筆画をいう。『筆陣図』には、「肉多くして、骨なきを墨豬という。」とある。
墨道 ぼくどう (墨堂・丘・陸とも)とは、硯の墨を磨るところの名。
北碑 ほくひ 中国の南北朝時代、北魏代を中心に彫られた北朝の金石文の総称。対義語は「南帖」(なんじょう)。北魏代に多く制作されたことから魏碑とも呼ばれることがある。清代の考証学者・阮元の唱えた「北碑南帖論」に由来する語である。実際には南北朝時代の書は完全に南北には分かれないというのが現在の見解であるが、今も北朝側の書蹟を総称する端的な言葉として一般的に用いられている。
北碑南帖論 ほくひなんじょうろん 北碑南帖論(ほくひなんじょうろん)は、清代の考証学者・阮元が唱えた、南北朝時代の書についての総合的な書論。北朝の碑を指す「北碑」、南朝の法帖を指す「南帖」の語の由来となり、その後の清の書道界の方向性を決めた重要な書論である。この論は実際には当初「南北書派論」の名で述べられ、「北碑南帖論」として詳述された二本立ての論であるが、一般的には「北碑南帖論」の方で呼ばれる。
南北朝時代の書というものは、基点こそ同じ後漢代の後を受けた魏の隷書であるが、その先の発展系統や書風は南北で全く異なり、明確に二分されるものとする。
南での発展系統は魏の鍾?に始まり、その書『宣示表』を西晋滅亡時に王導が持ち来たったことにより、その書法が南へ伝わったとする。そして東晋の王羲之・王献之に至って走り書きの行書とそれを整えた楷書が芸術的に完成され、以降宋から斉・梁・陳と南朝を経て、隋で合流しながら唐まで続く。書蹟は紙の法帖であり、これを「南帖」と呼ぶ。
一方北での発展系統は魏の鍾?を同じく基点とし、西晋から五胡十六国に受け継がれて隷書から直接的に六朝楷書となり、北魏を通って東魏・西魏、北斉・北周と北朝を経て、隋で合流しながら唐まで続く。書蹟は金石文であり、これを「北碑」と呼ぶ。
このように南北二系統の発展ルートを想定した上で、阮元は書道の正統な書体を後漢代の隷書と考え、これを基準に南北の書蹟の価値を計った。正統書体が隷書なのは、彼が漢代の学問や文化を無上のものとして尊ぶべきとする主張を行っていたためである。これによると南帖は途中で行書・草書に一旦変化しているため隷書の面影=隷意がないが、北碑は直接楷書に変化しているため隷意がかなり色濃く残っている。これにより、北碑の方が隷書、つまり書道の正統を受け継いでいると断ずる。
それに北碑は金石文で刻まれた姿のまま出土したり、多少の摩滅はあるにせよ昔の姿のままで建っているのに対し、南帖は模刻のやりすぎによって誤りが累積し、元の姿を留めていないのでその資料的価値には疑問をおぼえるという。
このようなことから、北碑は南帖よりも書蹟として優れていると考えるのである。
墨妙軒帖 ぼくみょうけんじょう 乾隆帝によって、1754年『墨妙軒帖』全4巻は集帖を編纂した。→集帖
墨量 ぼくりょう 筆の穂先につける墨の量、また、文字の滲みにおける墨の量をいう。
渤海蔵真帖 ぼっかいぞうしんじょう 清の初1630年以後にかけて陳?が渤海蔵真帖全8巻を集帖した。→集帖
法性寺流 ほっしょうじりゅう 藤原忠通を祖とする書道の流派の一つ。小野道風、藤原行成などの和様で優雅な書風に、雄渾さを加えた書風。忠通は、行成から世尊寺流を学び、それに工夫を加えて成立させ、どちらも鎌倉時代を代表する書風となった。開祖である忠通は、法性寺関白とも呼ばれたことから、当流を法性寺流という。




    書道用語辞典

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  か  (キ)  (ク)  (ケ)  (コ)
  さ  (し) (す) (せ) (そ)
  た   (ち)   (tsu)   (て)  (と)
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書道用語辞典 な行 は行








 ナ行



 語
読み
  説  明
難波津会 なにはづかい 明治23年、政治家である三条実美(さねとみ)、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)によって創設された会。華族や名家が秘蔵する名品を実査し、上代様仮名を研究するために組織された。大口周魚、多田親愛、阪正臣、小野鵞堂など、錚々たるメンバーが名を連ねた。
南帖 なんじょう 中国の南北朝時代に書かれた南朝の紙による書蹟・法帖の総称。対義語は「北碑」(ほくひ)。清代の考証学者・阮元の唱えた「北碑南帖論」に由来する語である。実際には南北朝時代の書は完全に南北には分かれないというのが現在の見解であるが、今も南朝側の書蹟を総称する端的な言葉として一般的に用いられている。
二王 におう 中国、東晋の書家、王羲之(おうぎし)・王献之の父子。日本に伝わる尺牘《地黄湯帖》などが名高い。 南朝では,宮廷や貴族たちによって二王(王羲之・王献之)の書が収集され,盛んに習われた。宋・斉のころには,主として王献之の書が好まれ,梁以後には,王羲之,さらに鍾?を重んずる復古的な動きが現れた。
捻管法 ねんかんほう 筆の頭を持って筆管を捻りながら書く方法である。長条幅を書くのに都合がよい。→書法 捻管法:俗稱「搓筆管」搓:兩個手掌反覆摩擦,或把手掌放在別的東西上來回揉。手拿一種東西在?一種東西上?生摩擦。
能書 のうしょ (能筆とも)字を巧みに書くこと。また、その人。能筆。「能書家」能書筆を択ばず字の上手な人は筆のよしあしを問題にしない。弘法(こうぼう)筆を択ばず。











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  あ  (イ)  (ウ)  (エ)  (オ)
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  さ  (し) (す) (せ) (そ)
  た   (ち)   (tsu)   (て)  (と)
  な  (に)  (ぬ)  ()  (
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